【気づき1989】〔相手の身になって、心を支える〕
2017 / 07 / 28 ( Fri )





◆相手の身になって考えるということは、


非常に素敵な感性です。



相手の身になることができるためには、


まずは相手の存在を認めなければなりません。



「当然、目の前にいるのだから存在していることはわかっている」


というだけでは足りません。



なぜなら、


相手が「自分の存在を知ってくれている」と感じているかどうかを


確認できていないからです。



◆なにげない挨拶がそれを実現します。



「こんにちは」と声をかけるということは相手の存在を認識していることです。



声をかけてもらった側は、


自分の存在を知ってもらっていると確認できる瞬間なのです。



◆自分にとって深刻なことが起こった場合、


それは自分だけの問題のように思えるものです。



それだけに、意識はそのことだけに集中し、


自分だけで対応を考えることになりがちです。



当人も気づかないうちに、


一人での戦いとなっていて、


その状況を自ら客観的に眺めると正に孤独を感じる状況です。



◆そのような人を支えることができるのは、


相手の身になって考えることができるすぐそばにいる人の感性です。



心に負担になるようなことが起こったことを知ったら、


まずは「そういうことが起こったことを私は知っています」と


相手に伝えることから始まります。



そして、当事者が「何について、どう感じたか」に対して、


自分が感じた思いを伝えることではないでしょうか。



◆それがおせっかいかどうか、


自分の行動が相手に負担にならないかどうかを考えることは勿論必要なことです。



そこで考えるべきは、


何をしないよりも、


そのような経過を経ても動いた方がいいと判断し、


そして行動したら、


ときには相手の人の心を支えることにつながることが


あるのかもしれないということです。



      北尾 吉孝  著

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【気づき1988】〔学びが心に定着する瞬間〕
2017 / 07 / 27 ( Thu )





◆人というものは攻撃されるとダメージを受けるものです。



当然、つらさを感じるものです。



一人だけで継続的に受け止め続けるということはなかなかできないものです。



それを防ぐ方策として、攻撃されないような力をつければいいのです。



仕事でいうと、ひとかどの役割を担えるようになればいいのです。



◆そうなるには、時間がかかりますし、努力が必要です。



攻撃をかわしながら、つらさに耐えながら、


積み重ね続けることが求められます。



◆その結果、あるポジションを維持できるようになったとしても、


それにあぐらをかかないで、


それまでと同じ調子で同じあり方を続ければいいのです。



◆人間にはいろんな力が必要です。



いろんな力を持っていた方が、


様々なことに対応できるといったほうがいいのかもしれません。



耐えること、努力すること、その間に考えること、


そして考える題材を広い範囲から吸収することが望まれます。



◆そのような経過のなかで、


これまで知っていたけれども心に焼き付いていなかったことが心にしみて定着したり、


心に浮かび上がる度合いが高まったりすることもあるのです。



そういう、学んだことが心に自然に蘇ってくることが、


心に定着してきたという一つの証しではないかと感じます。



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【気づき1987】〔毒(どく)を徳(とく)となせるか〕
2017 / 07 / 26 ( Wed )





◆人生の岐路と聞くと、


大きな決断を迫られる分かれ道のことを思い浮かべます。



しかし、人生には、いろんなところに、


様々な程度の岐路がたくさんあるのです。



生きていくということは、


常に選択をして時を過ごしているようなものです。



◆「こちらを先に片づけるか、それともあちらを先にやるか」



その選択も岐路ということになります。



行動だけでなく、心の持ち方にも同じことが言えます。



あることが起こり、


それに対して「気分を悪くするのか」、


それとも「次にどうやれば課題が解決するかを即座に考え出す」とでは、


それから先の結果が変わってくるのです。



その積み重ねで、ひとりひとり違う人生を歩むのです。



◆選択肢が2つあることを10回くりかえすと、


2の10乗(=1024)通りの選択の仕方があります。



つまり、厳密に言うと1024通りの人生があるということです。



心の持ち方だけを考えてみても、


それぞれの人が様々な人生を自ら背負い込んでいるということになります。



◆仏教では、人間が犯す罪を十悪業としてまとめてくれています。



そのなかでも、


「身近な人の心を束縛する」「嘘をつく」「人をだます」


「見栄をはる」「人をけなす」「怒る」などということは、


かなり身近なものです。



身近であるからということで放置していると、


人生はよい方向には向かっていないということになるのです。



◆毒を毒のまま放置するか、


それとも自ら思い直すことによって徳とするかの積み重ねで、


人生は大きく変わります。



これからさき何十年も生きていくのであれば、


今気持ちを切り換えて、


将来違う人生をたどることも大きな楽しみではないでしょうか。



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【気づき1986】〔欲望に支配されないために〕
2017 / 07 / 25 ( Tue )





◆「もし、今、自分の思う額のお金が手に入るとしたら、いくらほしいですか。」



この質問に即座に答えることができるでしょうか。



◆「お金をくれるなら、いくらあってもいい」


「もらえるだけ、もらう」


というスタンスであるとしたら、


それは欲望に飲み込まれた状態であり、


際限なく欲しがる魔のサイクルに入っているということができるのではないでしょうか。



◆なぜなら、「あと、いくら足りない」と言うことができるということは、


やりたいことや欲しいものがはっきりとわかっており、


その実現までに費用が明確に確認されているということになるからです。



◆毎日の生活を懸命に送っていますと、


食費、家賃、光熱費、衣服費、通信費などで


いくら支払っているかは当然気にかかるものです。



気にかかるというより、


それをしっかり把握していないと生活を長く続けていくことが難しくなります。



◆これは、生きていくために必要な最低限の条件です。



それができていないのに、


自分のやりたいことにいくら足りないなんていう確認が取れているはずがありません。



そういう状況で「いくらでも欲しい」と言い切る状態であると、


もしかりに多額のお金を得ることができたとしても、


一寸先は闇です。



近い将来に悲惨なことになることはほぼ間違いのないことです。



◆足元を踏み固めることをしないまま、漫然と生きていると


結局、欲望に飲みこまれるしかありません。



そんな哀れさを人生終盤に味わうことを避けるために、


「少なくとも今いくらあれば生きていける」


「あとこれだけあればこういうことができる」


という確認ぐらいは取ることは当然のことです。



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【気づき1985】〔毒からにごりを取ると徳になる〕
2017 / 07 / 24 ( Mon )





◆雑誌「致知」を年間購読していますので、


致知出版社が定期的にメールを送ってくれます。



22日にも、24季節の大暑をきかっけにメールをもらいました。



そのなかに、常岡一郎氏の詩が掲載されていました。



◆「徳と毒はよくにている。徳は毒のにごりを取ったものだ。

毒になることでもそのにごりを取れば、徳になるのである。

どんないやなことでも、心のにごりを捨てて、勇んで引き受ける心が徳の心だ。」

(『常岡一郎一日一言』より)



◆心に毒が発生する機会は非常に多いものです。



そういうことがよく起こるというより、


毒を発生させる思い方を自らしていることがその大きな原因です。



◆「毒になりそうだと気づいたら、即座にその思いを振り払う」


ということをやり続けたら、


徳を積んでいくことになるのでしょう。



これを継続したら、


多少は自分のこの人間性もまともになるのではないかと思うので、


緊張感をもって毎日暮らしていくことを選択します。



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