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【気づき2976】〔『死んだら終わり』ではなく『死ぬまで生きる』が正しい表現〕
2020 / 04 / 10 ( Fri )






◆昨年5月に父親が82歳で急逝しました。



その数か月前に、


「俺は長く生きた。父親は40歳を越えたぐらいで死んだから、


俺は倍以上生きた。もう十分生きた」


と言っていました。



「いつ死んでもいい」とも言っていました。



◆父が学生の頃は、大学の全国テニス大会で優勝したと聞いています。



しかし、近年、足腰が急速に弱り、杖を突くような状態でした。



しかも、緑内障の悪化で片側の目が失明寸前だったと母親から聞きました。



「今と、かつての華やかなりし時代を比べて、


お父さんは生きる気力が失せてきていたんでしょう。」


と、母親は言っています。



◆「人は死んだら、終わり」



父親は急に倒れ、その4日後に他界しました。



一人っ子の私が、病院の手続き、葬儀社探し、


葬儀の手配を急ごしらえで行い、


父親の遺骨を骨壺に収めた際には、


たしかにそういう思いもありました。



◆しかし、死んだら終わりというのは、


「死んだら肉体がなくなるので、思いを抱くことができなくなるし、


その思いに沿って行動することができなくなる」


という意味においてです。



それは、志半ばでこの世を去るとしたときの無念さとは


別次元の話なのです。



◆もし、志なかばでこの世を去ったと思えるような場合も、


送る人がその無念さを自分たちの胸に刻み込むことは、


切ないながらもしてはいけないように感じます。



◆そこで、


「死んだら終わり」という表現の仕方をしてはいけないと思います。



生きていて、死ぬまでがその人の人生という意味で、


「死ぬまで生きる(生ききる)」という思い方、


そして言葉としての表現に慣れた方がいいように思うのです。



◆送る人が、「当人には悔いがあったろう」という念を送ることは、


送られる人にとってつらいことだとは思いませんか。



当人を称えて、すっきりと成仏するように促すことが


送る側の役目ではないかと思うのです。



          田坂 広志  著


         →  運気を磨く 心を浄化する三つの技法



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