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【気づき4207】〔気遣い文化は全く必要ないものか〕
2023 / 02 / 05 ( Sun )


◆日本の職場において、自分のやること(やるべきこと)を


特に西欧諸国から来た同僚に自ら考えさせるということはナンセンスということを聞きます。



もともと、職場の新人に、


指示を出さないで気づいたことをさせるというようなスタンスが


日本人には沁みついているので、


そのような傾向があるという現実を客観的に把握しておくことは、


グローバルな時代には必要なことなのです。



◆しかし、そのようなスタンスを、


日本人に対してだけは適応するという考え方も成り立つわけですが、


その点はどのように考えたらいいものでしょうか。



◆日本人の感覚では、


気を遣うというと、マイナスなことが起きては困るのでそれを未然に防ぐとか、


恐れる人の機嫌を取るとか、心配に思う人を支えるというような意味合いがあります。



また、気遣いというと、


幾分ニュートラルなスタンスに感じ、


組織や周りの人に不利益が生じないように配慮することになると思います。



◆このような気持ちの持ち様は、


人と人が協力してことを押し進める際には必要であるというのが


日本的な感性です。



さらには、そのような視点がないと、


思いやりがないというふうに受け取られるのも常です。



◆そのような思い方の良し悪しは別として、


働いているチームメンバーがモチベーションを下げずに課題をクリアしていくためには、


メンバーの状況を把握するという意味で、


気遣いという感性の適度な行使は必要ではないかと思います。



それが日本人の持つ、有意義な特性なのかもしれません。



◆もし、そういう感性が乏しいのであればそれを責めるのではなく、


少なくともその意味合いや必要性を先輩が後輩に伝え、


その感性をスムーズに感じ取れる人には、


その力を持ち続けてもらうフォローがあってもいいように感じます。



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