【気づき4427】〔自分の愚直な面を、己の存在の芯として認識する〕
2023 / 09 / 13 ( Wed ) ◆以前、高齢者の施設を立ち上げる仕事をした際、 施設建設現場より少し離れた、 しばらく空き店舗になっていた場所に開設準備室がありました。 ◆しばらく人の出入りが無かったので、 敷地の周りの生垣はかなり伸び放題でしたし、 高い木が数本あったため、落ち葉が庭中に散らばっていました。 見るからに、寂れた感じのする場所でした。 ◆その風景を毎日、目にするのも嫌でしたし、 準備室なので事務仕事中心であったので、 体を動かしたいという思いもあり、 竹ぼうきを買ってきて、毎日、掃除をしました。 雨の日や余裕のない日以外は毎日掃きました。 ◆愚直という言葉には、愚かという字が入っています。 その意味は、「おろかしいが、それだけ正直なこと」と 旺文社の国語辞典にはあります。 正直ということは、愚直に続けたいと思う行為が自分にあるとすると、 それは自分でも気づいていない、自分がやりたいこと、あるいは、 在りたい存在の仕方であるかもしれません。 ◆立ち上げた施設を定年退職後に、緑地管理をしたいと思ったのも、 その時に私の心の奥底にあった思いが、 準備室周りの掃除をさせたのかもしれないと、今思っています。 掃除をしてきれいにしたいという思いに加えて、 「生活の場を整える」「人を迎えるかもしれない場の整備をする」 「人を迎え入れる場所の出入り口をきれいにしていないと、 人の流れを止めてしまう」 という、私が生まれてこの方、心の中に自分で植え付けた、 また、周りの人から教えてもらった、さらには、 この国に根付いた感性も影響しているとも感じています。 ◆愚直さの愚には謙遜の意味が含まれており、 その姿勢は決して愚かなことなのではありません。 自分が「したい」「続けたい」ということがあるとしたら、 それは、もしかしたら自分の心の中にある、 自分の芯の顕れであるかもしれません。 千葉 雅也 著 → 現代思想入門 (講談社現代新書) 「 人気blogランキング 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。 「 にほんブログ村 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。 ------------------------------- このブログでは、 毎日を「いきいき、生きる」ためのヒントを考え続けます。 ------------------------------ |
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