【気づき445】〔「気は持ちよう」は、気休めの言葉ではない〕
2013 / 05 / 06 ( Mon )



◆きのうのことですが、朝起きたらわが家の廊下の壁に穴があいていました。



壁は石膏ボードで作られていますので少し力をこめて叩くだけで穴は開きますが、


3人いる息子の誰からもそんな報告はありませんでした。



それを見た母親は当事者だと思しき一人に詰め寄り小言を言い続け、


そのあとも一日イライラした様子で過ごしていました。



◆息子に何があったかはまだ知りませんが、


確かに家の壁に穴を開けるような発散の仕方はよくないと父親であるわたしも思います。



しかし、なぜそのようなことが起こるかも親は考えなければなりません。



気短かに責めるだけではうまくいかないのですから、


感情にとらわれないことも必要です。



しかも、気分がすっきりしない時間を過ごすことを


自分で方向づけてしまってはいけません。



◆気持ちの照準をどこにあてるかで、


私たちの気持ちのあり様はずいぶん違ってきます。



楽しい気分かそうでないかを自分で左右しているという言い方もできるのです。



◆当然、腹が立つことはあります。



しかし、その時の気持ちを自然にまかせて持ち続けていては、


気分が悪くなることが起こった後にかなり長い間、


不快な気持ちで過ごさなければなりません。



◆その日一日をどうするかは自分にかかってくるのです。



その延長で、楽しいことをいつも心に思い浮かべているか、


それとも不安なことや人への怒りに心を向けているかで、


その人の人生が楽しい人生かそうではない人生かということにまで


大きな影響を与えていると思うのです。



◆気は持ちようというのは、


自分で努力して気持ちのあり様を左右できることを表現しています。



この言葉は、生きているうえで本当に大事な注意点であると思うのです。




        もう、怒らない

          小池 龍之介 著



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