【気づき1635】〔身体を感じられない時代〕
2016 / 08 / 08 ( Mon )





◆医療保険制度を作るときには、


当然ながら統計を取りその結果で基準を作ることになります。



そこで、個別の性質や事情を差し挟むことはできません。



そういう意味で平均的、ある意味平等なのです。



しかしその際にモデルになる身体は頭で考えた身体であり、


その際ただ1つしかない自分の生身の身体は置き去りにされることになるのです。



◆それと同様のことが、今の世の中には多く存在します。



コンピュータの発達により大量のデータを処理することが先行され、


その結果が信用されることとなります。



いまビックデータの活用が模索されていますが、


それは大勢の人の傾向という大きな塊の特質を見つけ出す流れのことです。



したがって、その結果がそれぞれの個と適合するかといえばそれはノーであり、


自分をその結果に合わせる必要もないのです。



◆これまで、人間社会を支える主な産業の変化を人類は経験しています。



第一次産業(農業、林業、漁業など)から第二次産業(製造業、建設業、電気・ガス業)、


第三次産業(小売業やサービス業)と変遷し、


いまや第四次産業(社会における知的組織で、政府、調査機関、文化団体、


IT(情報関連産業)、教育組織、図書館などの知識集約産業)や


新たに五次、六次という考え方も出てきています。



◆この変遷を見ていると、


明らかに人類は身体を使うことから脳を使うことにシフトしています。



生身の人間が、


自分の身体を感じる機会が減少する流れのなかに身を置いていることがよくわかります。



◆今の頭で作られている社会、脳化社会、都市化ともいうべきものは、


脳という器官をこれまでにない度合いで使う社会です。



この変化により人類のさらなる進歩発展は達成されるのでしょうが、


身体をどれだけどのように動かすかということをなおざりにすると


それ相応の支障が将来出てくるように思います。



◆長年、脳の世界に住むと自分の体を感じるのにも時間がかかるという見解もあります。



このような時代を迎えた今、


体を感じることを生活に意図的に取り入れることが、


動物としての人間らしい、豊かな時間を過ごすことにつながるのではないでしょうか。



        養老 孟司 著

           → まともバカ



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