【気づき1687】〔人の不快より、自分の快を優先していませんか〕
2016 / 09 / 29 ( Thu ) ◆都会の電車というものは、不思議なところです。 なにせ、知らない人がぴったり寄り添って時間を過ごすのですから。 生活していくうえで避けられないのですからしかたのことではありますが、 冷静に眺めるとやはり不思議なのです。 ◆しかし、仕方がないとはいえ、 そういう環境の中でもわきまえるという気持ちは必要です。 吊り革をもつことができるところに居ながらも、 スマホを操作することを優先し、 電車が揺れるたびに周りの乗客に自分の身体を接触させる人がいます。 性別にかかわらずです。 ◆それは一言でいうと、甘えです。 堅苦しく表現すると、 社会の中で優先してやるべきことを放棄し、 自分の関心のあることに打ち興じているとうことになるからです。 気づかないのでしょうか。感じないのでしょうか。 それは仕方のないことと判断してのことなのでしょうか。 ◆人が多くて自分の荷物が人にあたってしまうときに、 「すみませんね」とちょっと声をかけるのとそうでないのとでは、 その場での時間の複数の人の過ごし方の質が大きく変わってきます。 些細なことですが、 それがまずは小さな社会で平穏を維持する工夫になり、 その積み重ねがもっと大きな社会の雰囲気に影響するものと思うのです。 ◆まずは、自分から。 どういう状況になっているのか、 どうしたらいいのかを客観的に見て、 あり方を決め、 それが自然にできるように過ごすように自分を仕立てていくのが すてきな大人の社会人ではないかと思うのです。 佐藤 一斎 著 → 言志四録 「 人気blogランキング 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。 「 にほんブログ村 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。 ------------------------------- このブログでは、 毎日を「いきいき、生きる」ためのヒントを考え続けていきます。 -------------------------------
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