【気づき1812】〔『なぜ学ぶのか』のひとつの答え〕
2017 / 02 / 01 ( Wed )





◆幸福という言葉は一つの言葉としてとらえていますが、


実は「幸」と「福」は厳密には違う意味があるそうです。



同じ好事といえども、


苦心努力によらずに偶然他から与えられたものを「幸」といい、


自分の苦心努力から作り出した好事を「福」というようです。



◆そして、不幸に似た「福」もあれば、実は禍いである「幸」もあるのです。



自分にとって良かったと思うことが、


実はいいことなのかどうかはわからないということです。



しかも、何が幸であるか、何が福であるかも知識ではわかりません。



そこには智慧が必要となるのです。



◆「禍福はあざなえる縄のごとし」といいます。



その時々の「これはうれしいこと」「これはつらいこと」


という自分の判断にかかわらず、


事態は様々に変化するということです。



努力した達成感は味わっていいのかもしれませんが、


その思いを引きずることは自分にとっていいことではないということです。



◆荀子の考えに、


「窮して困(くる)しまず、憂えて意(こころ)衰えず、

禍福終始を知って惑わざること」


とあるようです。



これは、「なぜ学ぶのか」という問いに対する答えの一つと言えます。



       安岡 正篤 著

           → 知命と立命新装版



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