【気づき2190】〔生き方のぶれない軸を古典より学ぶ〕
2018 / 02 / 14 ( Wed )





◆中国の古典である書経のなかに、


五福六極という言葉が記されています。



五福とは、長寿であること、経済的に余裕があること、


心身ともに健康である事、善良な心をもつこと、天寿をまっとうすることです。



そして六極(六つの災い)とは、


短命、疾病、憂慮、貧乏、悪事、衰弱のことをいうようです。



◆健康で長生きすることが人としての幸せの大元であることを表しています。



そのなかにあって、福の1つに善良な心をもつことが含まれ、


極の1つに悪事があげられていることは興味深いところです。



◆孔子も論語のなかで、


「人がこの世に生かされているのは真っ直ぐに生きているからだ。

もし曲がった人生を送っている者がいても、それはこれまで運が良かっただけである」


と言っています。



正直さを欠くと人生に悪影響が生じ、


ある時期うまくいったとしてもそれは長続きしないということです。



◆このような生き方のお手本が、中国の古典のなかにはちりばめられています。



ただし、中国の古典とひと言に言っても、


非常に多くあり、四書五経を読み込むことさえかなりの労力を要します。



そこで、自分が繰り返し読みたいかどうかを確認するだけで


長い年月がかかってしまうことになります。



◆その膨大な情報のなかからエッセンスを学ぶ一つの糸口として、


日本の儒者の記した著書を学ぶという方法があると思います。



中江藤樹「翁問答」、関一楽「冥加訓」、石田梅岩「都鄙問答」など、


いまなお読み継がれている本に触れ、


自分の生き方の軸を再確認するという視点です。



そういうところから、逆に中国の古典にさかのぼるという方法もあるのではないでしょうか。



◆「生き方のぶれない軸を得る」



そんな読書の時間を持つことは人生を豊かにします。




「 人気blogランキング 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。


「 にほんブログ村 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。  


-------------------------------
このブログでは、
毎日を「いきいき、生きる」ためのヒントを考え続けていきます。
-------------------------------


テーマ:自己啓発 - ジャンル:ビジネス

06:39:49 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
【気づき2189】〔『注目される』と『取り立てられる』は別物〕
2018 / 02 / 13 ( Tue )





◆「注目される」という場合、


特別すてきなものとして目を向けられることもあれば、


時にはひどい状況であるとか、


著しく劣っているというマイナスの面が際立っている理由でそうなることもあります。



◆「取り立てられる」とは、


特別なものとして好評価され、


そういう意味で注目され、


話題になることをいいます。



◆世の中には、注目されないと気がすまない人がいます。



もし、注目されたいという願いが叶っているとしても、


当人が注目されているのはもしかしたら


芳しくない理由によって人の目が集まっているだけのことかもしれません。



◆もし、注目されたいと願う人が


「取り立てられたい」という意味でそう思っているのなら、


その実現のためにはそれなりの理由が必要なのです。



しかも、根本的に、評価というものは自分ではなく、


自分以外の周りの人がするという視点も必要なのかもしれません。



◆人の目が集まっているとしても、


それが注目されているのかそれとも取り立てられているのか、


その意味合いを見極める視点がないとしたら、


すでに取り立てられる対象から外れている可能性が大です。



それに気づくことが、


なにはともあれ始めの第一歩なのかもしれません。




「 人気blogランキング 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。


「 にほんブログ村 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。  


-------------------------------
このブログでは、
毎日を「いきいき、生きる」ためのヒントを考え続けていきます。
-------------------------------


テーマ:自己啓発 - ジャンル:ビジネス

08:58:16 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
【気づき2188】〔人の心を打ち震わせるものは何なのか〕
2018 / 02 / 12 ( Mon )





◆下積み時代という言葉があります。



人生を振り返った際にこの言葉を使うことができるということは、


成功の時代を迎えることができたということになるのでしょう。



◆では、その下積みという時に何を積み上げたのでしょうか。



仕事であろうとプライベートであろうと、


事を始めた当初は、


誰にでもできることからはじめ、それを継続し、


そのなかで知識、技術、そして精神的なタフさや人格をつくっていくことになります。



そのときどきを、まじめであろうとそうでなかろうと、


真正面から向き合って、真正面から風を受けて、


自分なりの風の受け方を覚え、それを生き様とすることなのでしょう。



◆音楽チャンプというテレビ番組で、


新潟の琴音という高校1年生の歌声を聴いて驚きました。



画面には「天才少女」と書いてありましたが、


確かにその歌声が心に迫ってくるという経験をしました。



まだ17歳。



なのに人の心を打ち震わせることができるのです。



◆天才は天才といいわれるだけあって、


当人も気づかないうちに備わっている才能があるのかもしれません。



しかし、もしかしたら、


人が理解できないほどの大きな密度の濃い何かを背負ったからこそ、


年若きといえども才能を開花させたのかもしれません。



◆「年齢が上になるほど、苦労はもう充分」などという感覚があります。



しかし、どれだけ背負ったかわからないほどの苦労しかしていないと思うのであれば、


年齢は気にせずに、降りかかる課題を受け止め、感じて、


それを心の充実に変えるような生き方をしたいと、


17歳の少女にあらためて教えてもらいました。




「 人気blogランキング 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。


「 にほんブログ村 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。  


-------------------------------
このブログでは、
毎日を「いきいき、生きる」ためのヒントを考え続けていきます。
-------------------------------


テーマ:自己啓発 - ジャンル:ビジネス

14:41:08 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
【気づき2187】〔『人間って何だろう』-AIとの共存に必要なもの〕
2018 / 02 / 11 ( Sun )





◆今や人工知能(AI)の技術も日進月歩であり、


AIが小説を書くことも可能です。



違和感を覚える表現が見られる場合もありますが、


時間が経つほどにその方面での技術も発展していくのでしょう。



◆文章だけではありません。



AIが独自に音楽を創ったり、映像を組み立てることも可能なようです。



生身の人間にとってかわる分野がどんどん増えていき、


人がやることがなくなってしまうような危機感を感じます。



◆「人間にできて、機械にできないことは何か?」



AIが発達していくと、


人間が開発しておきながら人間が隅に押しやられる構図を生み出します。



それを覆すあり方を模索することが結果的に必要な時代を迎えます。



◆そこで、「人間ってなんだろう」という想念の世界へ立ち返ることや、


もっと原始的に、体を動かすこと、五感を使うこと(感じること)、


意味を考えること、味わうことなどを突き詰めることに目を向けることに、


次の時代を生きていくヒントがあるような気がします。




「 人気blogランキング 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。


「 にほんブログ村 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。  


-------------------------------
このブログでは、
毎日を「いきいき、生きる」ためのヒントを考え続けていきます。
-------------------------------


テーマ:自己啓発 - ジャンル:ビジネス

06:36:03 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
【気づき2186】〔『神対応』に誘導し、『対応がすばらしい』という怪〕
2018 / 02 / 10 ( Sat )





◆ネットを見ていましたら、


「『神対応』に称賛」という文字が目にとまりその記事を読んでみました。



購入したコンビーフに開封用の鍵がついていないことをツイートした際の、


製造会社の対応についての記事でした。



◆その記事を読んでまず頭に浮かんだことは、


「鍵がついていないことをなぜSNSにあげるのか」ということでした。



公表したことは、いわば製品の欠陥の指摘です。



一般的に考えれば、欠陥の指摘→クレームという図式です。



それをSNSに上げるということ自体、


かなり製造元に対して高圧的な姿勢であるように感じたのです。



そうなると、製造元としたら当然丁寧に対応すべき事態ですし、


しかも適切な丁寧さでないと逆に非難されかねないことも危惧されるところです。



◆そんな状況下、当人が「製造元が神対応した」こともSNSに上げたようです。



欠陥のある製品の指摘をSNSでし、


製造元が対応しなければならない状況をつくった当人が


「神対応をしてくれた」というのが不思議なのです。



違和感を感じないわけにはいきませんでした。



言葉は悪いですが、


そういう対応をさせていながら、


「神対応」「すばらしい」とたたえるスタンスが理解できないのです。



◆この感覚は、いまの時代、ふつうなのでしょうか。



それとも何か意図があるのでしょうか。



こんなことを感じるのは少数派なのでしょうか。




「 人気blogランキング 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。


「 にほんブログ村 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。  


-------------------------------
このブログでは、
毎日を「いきいき、生きる」ためのヒントを考え続けていきます。
-------------------------------


テーマ:自己啓発 - ジャンル:ビジネス

06:13:41 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
前ページ | ホーム | 次ページ