【気づき4253】〔『投げやり』より、まだ『開き直り』のほうが・・・〕
2023 / 03 / 23 ( Thu ) ◆「なげやり」とは、「投げ・遣り」と分解できるようです。 「投げて、与える」とか、「投げて、捨てておく」という意味らしいです。 つまり、後を続ける気力がなくなり、 その場で対応することも放棄するほど落胆しているということです。 もう、緊張の糸は途切れ、その際に決定的なダメージを受ける可能性も残ります。 ◆対して、開き直ると言えば、観念してふてぶてしい態度を取る、居直るという意味です。 しかし、この心の持ち様は、 覚悟を決めて雑念を取り払い、勢いよく前に出るという可能性も秘めており、 次へのステップを考えた際、こちらの方が次につながります。 ◆生きているうちには、どうしようもない事実に打ちのめされることもあるでしょう。 しかも、残酷なことに、そのような経験は1回限りとは言えないところがつらいところです。 途端の苦しみを味わっていない身でこんなことを言うのは恐縮ですが、 「もうだめだ」と思うまでは、私はせっかくのこの命を何かのために使おうと思います。 ◆弱々しくなったとはいえ、87歳でまだ一人暮らしを続けている母が、 約50年前に中学生であった私に言いました。 「わたしは若い頃に病弱で、自死したほうが楽だと感じた時があった。 その時に思ったことを伝えておく」 母は、続けて言いました。 「死にたくなったら、アフリカに行け。そして、酋長になれ」 ◆どういうきっかけでそういう話になったかは覚えていません。 しかし、とにかくインパクトがあったその言葉を聞き、 当時の私にはこんな風に受け取りました。 「どうせ死ぬなら、まったく違う環境で自分を試し、 そこで何ができるか見てから死ね」 ◆この言葉は、当時から今に至るまで、 きつい時があった際にいつも心に蘇ってきた、 母から私だけへの金言です。 来月実家に様子を見に帰るついでに、 こんな会話があったことを覚えているか母に聞いてみようと思います。 アンデシュ・ハンセン 著 → ストレス脳 「 人気blogランキング 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。 「 にほんブログ村 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。 ------------------------------- このブログでは、 毎日を「いきいき、生きる」ためのヒントを考え続けます。 ------------------------------ |
【気づき4252】〔パワハラがなくならない、根が深い理由〕
2023 / 03 / 22 ( Wed ) ◆以前勤めていた職場に、一見すてきな上司であるように見えて、 実は自分の意見を押し付けるという人がいました。 その人は、部下の話をよく聞いて、誠意をもって接しているように見えます。 しかし、相手の考えをよく聞きはしてもそれは聞いているだけで、 結局最後には自分の考えを受け入れないと話を終えないという徹底ぶりでした。 ◆しかも、相手を服従させるための当人独自の方法なのか、 さして自分が忙しくないときにも、話をしに来た部下を長い間待たせたりしていました。 また、そばまで来た部下には目を合わさず、 パソコンを打ちながら話をするようなこともよくありました。 これは、 「私はできる人間である。だから、私の言う事をききなさい。私のことを尊敬しなさい」 ということを示すためのその人なりの行為であったようです。 ◆今の時代、パワハラは、社会で生きていくうえでのルール違反をみなされます。 そこで、そのようなハラスメントをする人は周りからも見張られているようなことになっています。 しかし、人との関わり方がもともとパワハラ的である人の中には、自分を守るために、 パワハラと当たる行為をしないように気をつけて過ごしているような人もいると思います。 心情的に変わったのではなく、 生ていくためのテクニックとしてそういうスタンスを採用しているのです。 ◆でもそういうスタンスの人は、きっかけさえあれば、 どこかで素の自分が出ることにもなるのでしょう。 そんな上っ面で、その場しのぎの生き方などは捨てたほうがいいと思いますが、 それができない人も大勢います。 ◆人を押さえつけて自分の優位性を確保して満足を得る人は、 なかなか変われないものなのでしょうか。 根が深い課題だと思います。 アンデシュ・ハンセン 著 → ストレス脳 「 人気blogランキング 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。 「 にほんブログ村 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。 ------------------------------- このブログでは、 毎日を「いきいき、生きる」ためのヒントを考え続けます。 ------------------------------ |
【気づき4251】〔神社とお寺の違いを、英語で伝えられますか〕
2023 / 03 / 21 ( Tue ) ◆実は、私は英語を話すことはできません。 でも、英語でコミュニケーションを取ることは楽しいと思うので、 ラジオの基礎講座を1年間続けたことはあります。 ◆しかし、その程度のレベルでは、伝えられることも限られています。 しかも、たとえば、神社とお寺の違いを説明することには もっと大きな障壁があります。 それには、英語を話すというレベルの前に、 神社とお寺の違いについて、まず理解していなければならないからです。 ◆神道とお寺の違いというような日本文化についてのテーマを決め、それを学び、 そのテーマにそって英語で説明できるように勉強するという視点は面白いです。 海外の方が興味を持つ文化、たとえば、 茶道、武士道、落語 、漫才、パチンコ、居酒屋、回転寿司、銭湯、 運動会、和歌、俳句、アニメ、皇室などについてあらためて日本語で学び、 それを英語で説明するという観点です。 ◆あらためて自分の国の文化についても学ぶことができ、 しかもそれを英語にするするために必要な単語を学ぶと、 スムーズな会話とはならなくても、 言いたいことは何とか伝わるのではないでしょうか。 ◆もし、チャンスがあれば、単語とジェスチャーだけでも、 楽しみながら、自分の思いを一生懸命伝えてみたいです。 アンデシュ・ハンセン 著 → ストレス脳 「 人気blogランキング 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。 「 にほんブログ村 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。 ------------------------------- このブログでは、 毎日を「いきいき、生きる」ためのヒントを考え続けます。 ------------------------------ |
【気づき4250】〔難解な本を、楽しみながら紐解く〕
2023 / 03 / 20 ( Mon ) ◆「読書百篇意自ずから通ず」と言いますが、 これまでに何回か読んで、 なかなか理解をすることがむずかしい本があります。 思い浮かぶのは、 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックス・ウェーバー著)、 「方法序説」(デカルト著)、 「モオツァルト・無常という事」(小林英雄著) の3冊です。 ◆高校生の時に「モオツァルト・無常という事」を読みました。 大学受験前であったので高いレベルの書物に触れようとしたのですが、 歯が立ちませんでした。 その後、大学在学中にも読んだのですが今ひとつピンときませんでした。 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、 産業革命以降の時代背景を学んだあとに読むと、 理解できるところは増えてはきました。 しかし、「方法序説」は50歳を過ぎても、私にとっては難解でした。 ◆読書というものは、年齢とともにその理解度が変わってきます。 知識と経験が増えることがその要因です。 しかし、名著をより理解するためには、 その本を理解するために必要な時代背景や専門分野の知識を 吸収しておくことも必要となります。 ◆結局、自分にとって難しい本の中身を味わうためには、 読解する力をつけるとともに、 その本のテーマとなる分野の知識、 例えば、宗教、経済、倫理等のベースとなる知識がないといけないわけです。 ◆今は受験の時とは違い、自分にとって難解な本を、 必要なバックグランドを、楽しみながら、一つひとつ学んだ上で 理解していこうと思います。 若い頃にはできなかったスタンスで、紐解く読書、味わう読書を、 自分なりのペースで続けます。 読書の世界をこのように楽しいと感じることができることは ほんとうに幸せなことだと思います。 アンデシュ・ハンセン 著 → ストレス脳 「 人気blogランキング 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。 「 にほんブログ村 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。 ------------------------------- このブログでは、 毎日を「いきいき、生きる」ためのヒントを考え続けます。 ------------------------------ |
【気づき4249】〔一日50回『ありがとう』を言ってみてわかること〕
2023 / 03 / 19 ( Sun ) ◆ふだんの生活で、1日に何回「ありがとう」と言っているかを数えたことがありますか。 以前読んだ本に、 「1日に50回、『ありがとう』と言ってみるといい」ということが書いてあったので、 数日試してみました。 言葉で言えるときは言葉で「ありがとう」と言い、 感謝できることがあれば、つぶやいてもいいし、 心の中で言ってもいいことにしてやってみました。 ◆試したのは出勤した日であり、職場で多くの人と接する日でしたが、 50回の「ありがとう」は結構ハードルが高いことがわかりました。 家に帰る前にまだ達成できていないときは、 歩きながら「ありがとう、ありがとう」とつぶやいて、回数を稼ぐようなこともありました。 ◆そんなことをやってみて、ひとつのアイデアが浮かびました。 人と接したときに、言葉を何か返す機会があったら、 その都度、「ありがとう」と返せばいいと思ったのです。 返答としておかしいときは避けますが、それが意外にはまるのです。 そう思ったときに、自分の周りに一人そのようにしている人がいることに思い当たりました。 その人は、どういう意図かはわかりませんが、確かにそうしていました。 ◆「ありがとう」と言うときは、感謝の気持ちを添えるほうが当然良いと思います。 しかし、もし、機械的に「ありがとう」と言ったとしても、この言葉は人と人をつなぎます。 なぜなら、「ありがとう」を受け取った人は笑顔になることが多いからです。 笑顔になると心が温かくなるからです。 ◆そんな魔法の言葉を自分のものにして、もっと使うと、 自分の人間関係がさらに良い方向に向かうように思います。 アンデシュ・ハンセン 著 → ストレス脳 「 人気blogランキング 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。 「 にほんブログ村 」に協力いただける方は、こちらのクリックをお願いします。 ------------------------------- このブログでは、 毎日を「いきいき、生きる」ためのヒントを考え続けます。 ------------------------------ |